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東尾修のプロフィール |
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東尾 修(ヒガシオ オサム) |
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1950(昭和25)年5月18日 |
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和歌山県 |
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箕島高校 |
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右投右打 |

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1969年 |
西鉄ライオンズ入団(ドラフト1位) |
| 1975年 |
23勝で最多勝獲得(太平洋) |
| 1983年 |
18勝9敗2セーブ・防御率2.92
最多勝・防御率1位の2冠獲得 MVP受賞 |
| 1987年 |
15勝9敗・防御率2.59で2度目のMVP受賞 |
| 1988年 |
現役引退 |
| 1995〜2001年 |
西武ライオンズ監督('97,'98年リーグ優勝) |

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697試合 251勝 247敗 23セーブ
33無四死球 1102与四球 165与死球 1684奪三振
4095被安打 412被本塁打
※1984年9月15日 通算200勝利達成 |

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MVP |
2回(83年、87年) |
| 最多勝 |
2回(75年、83年) |
| 防御率1位 |
1回(83年) |
| ベストナイン |
2回(83年、85年) |
| ゴールデングラブ |
5回(83年〜87年) |
| 月間MVP |
2回(80年8月、82年4月) |

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1シーズン10勝以上 |
14回(6年連続) |
| 1シーズン100奪三振以上 |
6回(3年連続) |
| 防御率ベストテン入り |
8回(4年連続) |
| 開幕投手 |
10回(4年連続) |
| 完投勝利最多投手 |
2回 |
| 投球回数最多投手 |
4回 |
| 日本シリーズ出場 |
6回(82年MVP) |
| オールスター出場 |
10回 |
| 2試合連続完封勝利・2試合連続無四死球試合 |
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東尾修の歴史 |
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| 箕島高校から1969年ドラフト1位で西鉄ライオンズに入団。「黒い霧事件」によりエースを欠いたチームで、入団2年目に11勝8敗の成績を残すと、その後エースとして活躍。弱小球団ながら1975年には23勝をあげ最多勝を獲得し、西武となった後の、1983年には18勝9敗2セーブ、防御率2.92で最多勝と防御率1位の2冠を獲得、MVPに選ばれた。1977年100勝、1980年150勝、1984年200勝を達成。通算与死球165は史上最多だが、一方でコントロールは抜群によく通算無四球試合33の記録を残している。大胆な内角攻めから一転し、外角いっぱいに得意とするスライダーを決める投球で通算251勝247敗、通算防御率3.50の成績を残し、1988年に現役を引退。1995年西武ライオンズ監督就任。就任1年目、2年目は3位に終わるも、西武主軸の清原が去り、チームの若返りを強いられた3年目には、松井(稼)、大友、高木大ら若手野手、さらにはエースとなる西口を育て、1997年、98年と2年連続リーグ優勝を成し遂げた。2001年監督退任後、テレビ朝日・文化放送・スポーツニッポンを中心に評論家として活動。 |
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